学年より
「福島沿岸部・被災地フィールドスタディ」に参加しました!
8月3日、昨年度の「浜通りへ行こう~復興と再エネの未来へ~」に引き続き、本校の地域課題探究活動として、一般社団法人あすびと福島さんが主催する「福島沿岸部・被災地フィールドスタディ」に、本校生徒6名(1年生2名・2年生3名・3年生1名)が参加してきました。
今回は、本校単独ではなく、安積高校10名・福島西高校6名・原町高校2名を含めた24名の高校生が、大震災・津波と原子力発電所事故により、社会課題を20年先取りして課題先進地域となった福島沿岸部を体感し、被災地域に向き合うことを通して、自分と福島と社会の未来について共に向き合うという趣旨のもとに実施されました。
まずは、バスでのフィールドワークで「影」の部分に向き合いました。
双葉町の現在の居住人口は0人。まだ、1人として帰還が達成されていない唯一の町です。家屋は蔦に覆われ、周辺には耕作放棄地が広がり、お店も閉じたままで、街はし~んと静まりかえっていました。日中は車での通行も可能ですが、夕方になるとゲートは閉められ、そこは動物たちの世界へと移っていきます。しかし、8月30日、駅周辺の一部地域ではありますが、11年半ぶりにやっと避難指示が解除される予定です。
かつて甲子園にも出場経験のある県立双葉高校は、来年度、創立100周年を迎える伝統校ですが、現在は休校中です。敷地内には自動車が取り残されたままで、3月19日に開催予定だった全国大会出場の横断幕が無情にも垂れ下がっていました。ガイドをして下さったあすびと福島の沖沢真理子さんから、この校舎での学業継続が突如として閉ざされてしまった当時の双葉高校生の思いを聞き、生徒たちは同じ高校生として胸を痛めていたようでした。
富岡町境の東京電力福島第一原子力発電所から約2kmの地点です。この地点での放射線量は、毎時1.19マイクロシーベルトでした。短時間であれば人体に影響が出ない値ですが、生活を継続していくには、さらなる除染が必要です。ちなみに、手前は、中間貯蔵施設の予定地です。フレコンバッグが積み上げてあります。袋の中には、除染で取り除いた土や放射性物質に汚染された廃棄物が入っています。貯蔵開始後30 年以内に、福島県外の最終処分場に移されることになっていますが、その最終処分場の場所はまだ決まっていません。全町民が帰還できる日が、いつ来るのか。また、その時、帰還を希望する人がどれだけいるのか。原発がもたらした「影」はまだまだ消えそうにはありませんが、一方で原発が、この地域に電源立地給付金や固定資産税、そして、たくさんの雇用をもたらしていたことも事実です。
浪江町では、教職員の迅速な判断と児童の協力により、奇跡的に児童93名全員が無事避難することができた、震災遺構「請戸小学校」を訪れました。津波の威力のもの凄さに、もう、ただただ驚くばかりでした。
津波は、1階にあったすべてのものを押し流し、2階の床まで達していました。震災当日は、卒業式でした。まるで時間が止まったままのようです。実際、時計も津波到着時刻の午後3時37分で止まっています。
北上して、南相馬市の小高区まで来ると、若干「光」が見えてきます。震災前の居住人口約13,000人の内、2022年7月現在、約3,800人が帰還し商店街も復活しました。その帰還のきっかけをつくった一人が、今回、お話を聴かせていただいた小高工房・代表の廣畑裕子さんです。廣畑さんは、小高生まれ、小高育ちの2児の母。2015年7月に住民交流スペース「おだかぷらっとほーむ」を立ち上げ、2017年には「小高工房」をスタートさせ、住民の憩いの場にとどまらず、地域全体が元気になる様々な活動を続けています。
段々、雨が本降りになってきました。バス車中から、災害対応におけるドローンの活用、無人航空機の目視外飛行など、無人飛行に関する様々な実験が行われている「福島ロボットテストフィールド」を見学し、あすびと福島さんの研修所「あすびとパーク」に到着しました。
まず、午前中のフィールドワークの振り返りです。本校の2年生が、口火を切ってくれました。生徒たちは「浜通りの現在の実態を初めて目にして胸が締め付けられる思いでした」「報道では見ることのできない影の部分を目の当たりにして考えさせられました」「私が住む場所からわずか2時間しか離れていないのに、11年という時間の流れ方がまったく違っていた」などと、各々の感想を共有しあいました。参加者の中の請戸地区出身の高校生は「ご近所同士のおつきあいがとても密で、とても賑やかだった町が、まったく違う姿になってしまいました。休みの日には、いつも海に行っていたのですが、その海が・・・」と、やや言葉を詰まらせながら、その思いを語ってくれました。
午後は、2011年3月11日から現在までの廣畑さんの歩みをお聞きしました。聞き役は、あすびと福島・代表の半谷栄寿さんです。半谷さんは、南相馬市の小高区のお生まれで、震災の前年まで東京電力の役員をなされていた方です。震災後は、福島の復興を担う人材を育成するという志を立て、「人をつくることが、明日をつくる道」との思いから『あすびと福島』を創設されました。半谷さんの考える理想の地域像は、次のようなものです。「1つ目、あすびと福島が伴走する学生や自らのスタッフが社会起業家として福島で活躍する。そして、その姿を見た子供たちが自分も社会起業家になろうと努力をする、という「憧れの連鎖」が続いていくことで福島に社会起業家が増える」「2つ目、社会起業家が増えることで社会課題が解決され可能性が具現化する福島になる」「3つ目、福島から「憧れの連鎖」が全国に広がり、各地で社会起業家が生まれて新たな価値を創る。これにより福島が地方創生のモデルと言われるようになる」。今回の研修費も、全額、あすびと福島さんが負担して下さいました。そのお話からも、思いの熱さが伝わってきました。
震災後、廣畑さんが勤務されていた会社は郡山市に移り、一方、息子さんは相馬市のサテライト校に通うことになり、一時期、廣畑さんは、相馬市と郡山市の片道2時間の距離を毎日通われていたそうです。その後、小高に戻り、唐辛子の生産・加工・販売を通じ、人と人をつなげ、地域の人々に生きがいを提供してきました。廣畑さん曰く、「″立派に”生きようとしなくてもいい。"ちゃんと″生きればいい」「自分の選んだ道が一番正しいと思うことで、今を大切にすることが大事だ」「変えられない過去に悩むより、未来を新しくつくっていく」「一番大切なのは命であり、身近な人の笑顔」。また、半谷さん曰く、「目的と手段を取り違えないように。手段の失敗は全然構わない」「持続可能性とは、コミュニティに貢献する社会性と利益を生み出す経済性を両立させること」「リーダーシップとは、まわりの共感を生むこと」などなど。本校生も、メモを取りながら、お二人の話に熱心に耳を傾け、積極的に質問もしていました。
最後は、今日一日、被災地でのフィールドスタディを通して、今の社会や自分と向き合った思いを、文字として言語化し、参加者全員で、その思いを言葉として共有しました。
最後は、ドローンで記念撮影です。みんな充実したいい顔をしていました。
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