【地域課題探究】「浜通りに行こう!2025」~福島第一原発・震災原子力災害伝承館
2025年7月29日 12時41分 [7年度入学生]令和3年度から地域課題探究として始めた『浜通りへ行こう!』は、今年度で5回目を迎えました。今回は、毎回お馴染みの「東日本大震災・原子力災害伝承館」の見学・「語り部」講話に加え、「請戸浜」の見学や「福島第一原子力発電所」・「廃炉資料館」の視察をプログラムに盛り込みました。
7月24日(木)、まずは東京電力廃炉資料館に向かいました。「資料館」は、元々は、福島第二原子力発電所をPRする目的で建設された「エネルギー館」でしたが、原発事故後、その記憶と記録を残し、反省と教訓を社内外に伝えるために、東京電力が設置した施設です。エントランスの壁には、「私たちは、事故の反省と教訓を決して忘れることなく後世に残し、廃炉と復興をやり通す覚悟をもって東京電力廃炉資料館を運営してまいります」と、東京電力社長の言葉が刻まれていました。
原発事故や廃炉に関する展示を見学した後、筆記用具以外のあらゆるものを資料館に置いて、線量計を身に付け、金属探知機をくぐり、警備員の方が同行する厳重な警戒のもとで、「1F(イチエフ)」こと「東京電力福島第一原子力発電所」に入構しました。
構内では、燃料デブリの取り出しや汚染水の処理方法について説明を聞きました。廃炉作業は40年の期間を要するとされていますが、作業は困難を極め、既にスケジュールに遅れも生じており、真の意味での復興の難しさを感じました。
原子炉建屋が見えてくると、併せて太平洋の海も視界に入ってきました。非常用電源車が高台に置かれていれば…、防潮堤があと10m高ければ…、私たちがもっと原子力発電やエネルギーについて関心を持っていれば…、悔やまれます。1号機後方の高台のデッキ上から爆発の爪痕を残す原子炉建屋の解体状況を見た時には、14年前のあの時の記憶が蘇ってきました。そして、強い日差しと高温の中、建屋の周りで防護服に身を包み作業に当たる方々の姿を見た時には、本当に頭の下がる思いでした。「ありがとうございます」
約1時間の帰還困難区域での通算被曝線量は、私の線量計では0.1μシーベルトでした。帰還困難区域を除けば、双葉郡の町村のほとんどの地域が、郡山市とさほど変わらない空間線量です。しかし、「安全」と『安心』は似ているようで異なり、まだ多くの住民の方々が戻ってきてはいません。双葉町の場合、震災前に7000人だった人口は2025年4月現在で居住者180人ほどになってしまいました。バスの車中から見えるバリケードの奥の民家を見ると、胸が痛みます。
昨年見学した震災遺構「請戸小学校」の外観を確認し、そのすぐ目の前にある請戸浜で、小学校を襲った太平洋を一望しました。普段は穏やかなこの海が、まさか…と感じました。しばらくすると、2名の警察官の方が道具を抱えて、高く仕立て直された防潮堤から浜に降りてこられました。お聞きすると、三重県警と岐阜県警から特別出向されている「ウルトラ警察隊」の方で、毎日、行方不明者の捜索に当たっているそうです。「暑い中大変ですね」と声をかけると、「人の役に立ちたいと思い警察官になったわけですからなんでもありません。今日も、まだ家族に再会できない方々のためになんとか探し出したいと思います」。またまた、頭の下がる思いです。本当に、この福島は、いろんな人に支えられています。
伝承館は、東日本大震災と津波に伴う原子力災害を後世に伝えることを目的として2020年に開館しました。エントランスホールのナレーションで、故西田敏行さんが「復興はまだまだ道半ば、生きてるうちに見届けられっかどうか。無理かもしれねえな」と情感たっぷりに語っていらっしゃったのが印象的でした。展示コーナーには、発災前の地域像やその後の避難生活を示す資料約30万点が展示されており、生徒たちはボランティアスタッフの方の説明に真剣に耳を傾けていました。
最後のプログラムは、「語り部」講話です。今回、講師をお引き受けいただいたのは、伝承館職員の遠藤未來さんです。遠藤さんは、被災当時小学校4年生。しばらくの間、東京で避難生活を送り、地元の高校での探究活動を通して、自らも地域に貢献したいと強く願うようになり、伝承館への就職を決意したとのことでした。
等身大の話を聞くことが出来たからだと思います。ここでも、参加生徒から遠藤さんにたくさんの質問が投げかけられました。あらためまして「ありがとうございます」
予定していたプログラムはすべて終わり、振り返りのワークショップです。今回は、自らも「プチ語り部」として発信してもらうことにしました。まずは、今日一日の感想をお互いに共有しました。その後、一人一人「プチ語り部」動画を撮影しました。いずれ公開したいと思います。
参加生徒の事後アンケートの結果と感想です。『浜通りに行こう!2025~福島第一原子力発電所視察と「語り部」講話~』事後アンケート集計結果.pdf
「今回のプログラムに参加して、『知っているつもり』だった震災や原発事故の現実が、自分の中で大きく変わったと感じた。」
「改めてこの震災は風化させては行けないものだと思いました。そして今回体験したことを将来生かせたらいいなと思いました。」
「沢山の人が復興のために努力している姿やこれからの福島を大切にしていきたいという姿がこのプログラムに参加してわかりました。自分自身も福島の魅力をたくさんの人に伝えるお手伝いをしたいととても思いました。」
「今現在福島は復興に向けて着実に足を進めていることがよくわかった。見学したことを忘れずにいろんな人たちへ伝えていきたい。」
「今回プログラムに参加して、より多くの人に東日本大震災や福島の復興について知ってもらいたいと思いました。今回、私がたくさんの人に伝えて貰ったように自分も誰かに伝えていける1人になりたいと感じました。」
「原発事故や東日本大震災のことを知らなすぎるが故に他人事として捉えてしまっていたが、自分の目で現状や当時の状況を理解することで自分の認識の甘さを感じた。また、廃炉に関する研究に少し興味を持ったので、より調べて見たいと思った。」
「私は浜通りの各市町村や帰還困難区域の周辺に今まで何度か来たことがあり、その時見えた民家が妙に印象に残っていて、その記憶を確認したい気持ちや、チェルノブイリに関連する知識欲のために、今回の視察に参加しました。工事の規模や事故と津波のかなり詳細な情報を公開していることに驚き、原子炉の大きさに圧倒され、自分の中の凝り固まった人も建物もない閉鎖的ないわきのイメージが刷新されました。またバスの中で新聞の切り抜きのファイルを拝見させて頂き、世の中には震災で大きな影響を受けた人がいて、現状を変えようとした人が存在したのだということを実感しました。自分が今まで知っていた情報がどれだけ断片的で、現実に即していないか思い知ることができて本当に良かったです。今回のプログラムを企画していただいた先生や東京電力の職員の方々には感謝しています。ありがとうございました。」
「今回のプログラムを通して、震災や原発事故は『過去の出来事』ではなく、今も続いている問題であることに気づきました。」
「特に、東京電力福島第一原子力発電所の視察では、廃炉に向けた作業が何十年もかかるという現実に衝撃を受けました。また、語り部の方のお話から、東日本大震災を忘れてはいけないなと改めて思いました。」
「今後、私たちが震災について学び続ける責任があると感じました。」
「私たちに説明や体験談を話してくれた人たちは私たちにその意思を継いでほしと思って話していたと思います。だから私たちがその意思を継ぎ、まずは身近な人たちに私の聞いたことや体験した出来事を話していきたいと思っています。そして将来的にたくさんの活動に参加して私たちの次の世代へ意思を継いでいきたいと思います。」
「大したことにはならないという油断が、事態を悪化させてしまうということを講演の講師の先生のお話や語り部講話などから感じました。」
「震災については前から知っていましたが、今回の研修を通して改めて自分はまだまだ知らないことが多かったと感じました。」